特別展  雪村―奇想の誕生 ―

戦後最大規模の雪村岡継回顧展    

フリーキユレイター     藤浦   正行

1.雪村の画蹟を顧みる    

 東京芸術大学大学美術館において「雪村―奇想の誕生―」と題する回顧展が開催されている。この展覧会は16世紀 (室町時代後半)に常陸国に当時の領主佐竹氏に連なる武家の家に生まれ、後に常陸から相模 (小田原・鎌倉)陸奥 (会津)、そして晩年の奥州 (三春)へという彼の生涯を通しての画風の変遷をたどり、最後には室町期の交流した画僧や弟子をはじめ江戸期の継承者たちの作品を提示し、この中では特に雪村に私淑した尾形光琳の作品をテーマ展示としてまとめ、都合全六章に分けて展示されていた。


 雪村作品は総体的に室町初期に中国からもたらされた「水墨画」である。しかし彼は禅僧であるという共通点はあるものの、京の臨済宗寺院の画僧たちとは異なり、京に赴くことなく生まれた常陸国を中心に、関東と東北南都だけに足跡が遣り、都とは直接には一切関わっていないところにその特徴が見いだせる。そのため雪村作品を関東水墨画として分けて考える見方もある。


呂洞寶図
重要文化財
大和文華館

 しかし彼の画題を見て行くと「瀟湘八景」を主とする山水画や動植物画・花卉図さらに観音などの仏画など、初期の画僧達の画題と共通しているのである。またその中には南宋期の画家梁楷・牧谿などの画に学んだ跡も見られ、こうした点も京の画僧達と共通するのである。ではどこが初期の画僧と違っているかといえば、一つは身近なもの「花卉類や虫など」に向けた眼差しであり、もう一つはこの展覧会のタイトルに通じる「奇想」と評価される表現のあり方であろう。特にこの「奇想」表現の代表作とされるのは「呂洞賓図」  (重要文化財・大和文華館)に見られる竜頭に乗った呂洞賓の姿にあるように、やや滑稽な表現になっている点であると考えられる。

 
蝦蟇鉄拐図
東京国立博物館


欠伸布袋・紅白梅図
茨城県立歴史館

 この滑稽に通ずる表現は、人物画の多くに見られ、相模滞在時の「琴高仙人、群仙図」    (京都国立博物館) 「列子御風図」 (アルカンシェール財団) 「竹林七賢酔舞図」(メトロポリタン美術館) 「欠伸布袋・紅白梅図」  (茨城県立歴史館)や会津滞在時の「鍾馗図」  (茨城県立歴史館)「寒山図」(栃木県立博物館)「寒山,拾得図」(栃木県立博物館)「布袋唐子図」(仁和手) 「杜子美図」さらに晩年の三春時代の「蝦墓鉄拐図」  (東京国立博物館) 「李白観瀑図」「布袋図」(板橋区立美術館)など多くの作品に見受けられる。


布袋図
板橋区立美術館

 これらの作品は滑稽な面をもっているものの、それは一般的に考えられる「奇想」とは違うものであり、雪村画の別な一面を示すものである。そしてこうした表現こそが雪村画の大きな魅力として、後世の絵師たちの追随を生み出したと考えられるのである。


2.雪村作品の魅力

 雪村の作品には様々な魅力が垣間見える。雪村は常陸の戦国大名佐竹氏一族の長子に生まれながら、廃嫡され失意のうちに禅僧として生きる道を選ばざるを得なかった。雪村が水墨画に親しんだきっかけは、禅僧としての修行をつんだ常陸太田の正宗寺において雪舟画に触れたことに始まる。その後都の水墨画に学んだ鎌倉建長寺の祥啓が伝えた中央画壇の技法や表現を受け継いだ性安に、常陸太田に佐竹義人が建立した耕山寺で学び、本格的な水墨画家としての歩みを始めた。このおよそ五十年にわたる常陸時代は雪村の画僧としての修業時代であり、日本の水墨画の様々な画題を学ぷとともに、水墨画の基本的な技法や表現を学んだ重要な時期であった。しかしこの時代のなかに独自の表現を示し始めた作品がある。それが 「風濤図」  (重要文化財,野村美術館)で、小さな画面ながらそこには雄大な大海原と吹きすさぶ暴風、それに抗して進む小さな舟が描かれる。この作品の下地には瀟湘八景図のうちの遠浦帰帆があるとみられるが、穏やかな海の光景を描く遠浦帰帆に対して本図は嵐の中の小舟を描いている。こうした独自表現はその後もさらに広がっていくが、雪村が絵画修行の初期からこうした独自表現を目指していたことがわかるのである。


風濤図
重要文化財
野村美術館

 雪村は天文十五年 (l546)雪村五十歳頃に常陸を出発して、会津若松の蘆名盛氏のもとへ赴き盛氏に古画の鑑賞法を授け、鹿沼においては今宮神社に「神馬図」を奉納、さらに南下して小田原に向かい後北条氏の菩提寺である箱根早雲寺において開山の以天z宗清の頂相を描いた。小田原の戦国大名でほぼ関東全域を支配下に置いていた後北条氏は、京との交流も多く、多くの禅僧たちが訪れ、禅宗につながる中国の水墨画も数多く収集していた。さらに関東禅の中心地鎌倉にも向かい、鎌倉五山を中心とする禅宗寺院に伝わる中国水墨画の名作に触れる機会を持ったと考えられる。


叭叭鳥図
重要文化財
常盤山文庫

この時期には、鎌倉円覚寺の景初周随が賛を付けた「叭叭鳥図」(重要文化財・常盤山文庫) 「瀟湘八景図巻」(正木美術館) 「瀟湘八景図」(元襖・仙台市博物館)などの伝統的な画題の作品を描く一方で、「琴高仙人・群仙図」  (重要文化財・京都国立博物館)や「列子御風図」  (アルカンシェール財団) 「竹林七賢酔舞図」  (メトロポリタン美術館) 「欠伸布袋・高白梅図」(茨城県立歴史館)などのやや滑稽味を帯びた作品が登場してくる。ここに現れた滑稽味を帯びたとみられる作品こそが雪村の独創性を示す作品と考えられるのである。この時代には中央の画壇と最も近い関係にあった鎌倉五山をはじめとする禅宗寺院において数々の古典的作品を実見したのであろう。雪村はそうした古典的作品から学ぶとともに、その中から自分の嗜好にあった画題を選びそこに彼独自の表現法を加えて、先述した滑稽味のある作品群を生み出したと考えられるのである。これが雪村の大胆な実験であり、雪村画が新しい境地を切り開く端緒となったものと考えられるのである。


竹林七賢酔舞図(部分)
メトロポリタン美術館

  さらにいえば、こうした滑稽味のある作品群が、後の江戸期の絵師たちに興味をもって受け入れられ、雪村が改めて評価される要因になったと考えられる。この江戸期の評価こそ近代以降に再評価される遠因であったし、現代において数々の回顧展が開催される基となった。

  晩年の雪村は陸奥の三春に向かい、この地に画室「雪村庵」を設けて画業に邁進したと思われる。この時期には大きく動きのある「蝦蟇鉄拐図」(東京国立博物館)「花鳥図屏風」  (栃木県立博物館)いくつもの猿猴図 (茨城県立歴史館他)多彩な「瀟湘八景図」(永青文庫他) 「金山寺屏風」(笠間稲荷美術館)や「雪景山水図」(京都国立博物館)などの山水図の名作を描いた。その表現のち密さは晩年に至っても衰えない雪村の筆力を示しているといえよう。


金山寺屏風
笠間稲荷美術館

 この最晩年期に雪村自身を表す名作が描かれた。それが「自画像」  (重要文化財・大和文華館)である。画家の自画像あるいは肖像画というのは近代に至るまではその残存例が非常に少ない。それは人物画というものの位置づけが、高僧や身分の高い人々を理想的な姿で描くことにその目的があったと考えられ、一般庶民、ましてや自らの姿を描くというのは論外であったと考えられるからである。中世以降の日本の絵師で自画像 (あるいは肖像)を残しているのは、この雪村周継と江戸初期の絵師岩佐勝以だけである。この二人の自画像は、いずれも高齢になった絵師自身を描いているが、岩佐勝以の場合は死に臨んで、以後自分の法要の際の遺影として描かれた図と考えられ、竹の椅子に座し脇の机には香炉が描かれるなど使用目的が限定されている感がある。それに対して雪村の自画像は、背景に陸奥の雪山と中天に上る月が描かれており、雪村の晩年の暮らしぶりが伺える構成となっているのである。しかしこの図に見られる屋外と屋内との併記の手法こそが日常的な暮らしの姿とは違った雪村の独自表現といえるものであった。



村・自画像
重要文化財
大和文華館

3.雪村の残したもの 

 雪村は鎌倉の祥啓の弟子性安 (耕山寺住持)  との交流の後、晩年にかけて雪閑・雪洞・祖栄といった弟子を育てたと思われる。雪村の自由な画風から考えると、彼の育て方は厳しく指導するというより、自然のままに雪村の画風に私淑していく姿を見守っていたのではないだろうか。

 こうした流れは時代を隔てた江戸期の絵師や明治初期に新しい日本画を模索した東京美術学校や日本美術院を形成した画家たちにも受け継がれ、近代日本の中での雪村再評価につながっていったと思われるのである。特に光琳はいくつかの同様の表現の作品を描いており、その表現は弟の乾山や百年後の継承者酒井抱一に受け継がれていった。  

 ここに見られるような継承の在り方は、いずれも琳派における継承と同様のものであり、そこに雪村自身の意思は感じられないのである。つまり雪村自身は自らの画技を後世に遺す意思はなく、あくまで自分が満足する自分の嗜好に沿った表現の作品を遺したにすぎない。

 しかし雪村水墨画における真体山水図や破墨山水図には中国宋代画院の伝統や宋代の禅僧牧谿から学んだ表現が見られるものの、自ら私淑したと称している日本水墨画の祖雪舟の姿は見えてこない。雪村の山水図はあくまでも大きな景観を表現することに意を用い、身近な生物の表現にはクローズアップした表現で現している。つまり山水図は山水図で、花鳥・花卉・虫類動物はクローズアップによって表現したのであり、雪舟が日本的表現を開花させたとする「花鳥図」は雪村には見られない。「花鳥図屏風」と題された作品が本展にも出品されているが (大和文華館・ミネアポリス美術館)これは大きな山水図の中の花鳥ではなく、あくまでもクローズアップされた自然の中の花鳥であり、それは狩野・長谷川・海北・雲谷派などの水墨画を源流とする桃山画壇の絵師たちが描く花鳥図に続く要素を包含している。


花鳥図屏風
重要文化財
大和文華館

 このような分析の結果、雪村は精神的には雪舟に私淑しつつも、表現的には南宋画院をはじめとする中国水墨画に学び、そこから雪舟とは違う、軽妙な表現を選択したのであろう。これは京に赴かなかった雪村のケガの功名ともいうべきものであり、南宋院体面をそのまま伝えた祥啓とも違い、学んだ様々な要素を独自に解釈するとともに、特に人物画においては軽妙酒脱な表現を考案して描き出したのである。辻惟雄氏が言う「奇想」とはこの「軽妙・酒脱」表現を指すと考えられ、それが本展の副題となっているのだが、これは「奇想」ではなくあくまでも「軽妙・酒脱」の表現であり、「奇想」という言葉の一人歩き、レッテル張りは大いに危惧される現象と言わなくてはならないのである。